
え〜、江戸に住んでる方たちの娯楽ってえと、寺社巡りや物見遊山、花見に相撲見物、各境内の祭りに富籤、
悪所など呼ばれる吉原通いなど挙げられます。ま、ちと簡単なところでは、湯屋の二階、居酒屋、博打で、とくに湯屋の二階なんざぁ
一種のサロンみてぇな所でした。ざっと挙げ連ねても、やっぱり男のあすび場所が多いってなもんです。
で、ちょっぴり江戸好きの馬鹿なあたしが、ご紹介しようってのが芝居見物てぇ代物で。
こいつも川っぱたでやる三文芝居や両国橋や浅草界隈に立ち並ぶ、大小の掘っ立てた芝居小屋があり、それぞれ盛況でした。
しかし、なんといっても庶民の憧れで、当時の大スター達が間近に見られる、歌舞伎見物が華があってええですな〜。
さて、お話しを江戸に戻しましょう。もともと、芝居は芝居町という場所で、一日に千両の金が動くと言われ、芝居小屋を中心に芝居茶屋が並ぶ大歓楽街でした。
芝居町とは、日本橋の堺町、葺屋町、木挽町あたりで、この頃は江戸四座といわれる、中村座・市村座・山村座・森田座が幕府より公許を受けています。
んがぁ、正徳四年(1714)に、有名な絵島・生島事件で山村座が潰されて、それ以後は三座で歌舞伎興行を行ってきますた。
で、天宝十二年(1841)十月七日明けの七つ、寅の刻(午前4時)に堺町から火の手があがっちゃいます。五つ、辰の刻(午前8時)に鎮火するまで、
堺町・葺屋町・堀江六軒町が焼け、中村座と市村座の歌舞伎座をはじめ、人形操り芝居の薩摩座、結城座、多くの芝居茶屋が灰塵となっちめえました。
表向きの火元は堺町にあった芝居茶屋、桜屋喜右衛門ということになっとりますが、実は中村座の楽屋から出火したといわれております。
中村座の取り潰し(当時は出火元の家は責任を問われて間違いなく取り潰し)を恐れた桜屋が、中村座をかばったんですね〜。
当然桜屋が責任を負わされ、取り潰されますた。いよ!桜屋、日本一〜〜。この出来事だけでも芝居になりそう(笑)
一日に千両の金が動くといわれ、役者絵(ブロマイド…こんなんも今はないですな〜)が爆発的に売れ、役者のしぐさや衣装を真似た者が出てくるなど、
庶民の風俗に多大な影響を与えていた芝居町を苦々しく思ってる奴がいやがったんです。老中の水野忠邦!こいつめはなかなかの才覚者で、天保の改革を断行します。
風紀引締・質素倹約・風俗是正のスローガンをかかげて、芝居町を虎視眈々と狙っていやがりました。んなときに、上記の火事が勃発〜。
水野忠邦がほくそ笑んだのはいうまでもありまへん。
「オラオラ〜、おめぇらのだらしない生活態度で、ひでぇ火事を起こしやがったな!はい、場所替え!ここいらから出ていきなさい!」となっちゃいますた。
本当は、水野忠邦は「芝居」自体を廃絶することを望んでましたが、我らが遠山の金さん、そう遠山左衛門尉景元(とおやまさえもんのじょうかげもと)が反対したといわれています。
「ええ〜い!くだらん芝居など無くなってしまえばええんじゃ!ウキーッ!」
「コラコラ、水野のおっさん、何アホなこというてんねん。これ以上庶民をしばいたらあかんよ。あんさん、ほんまに意地の悪いイヤな奴やな〜。場所替えだけにしときや〜」と
言ったとか言わないとか(笑)
で、当時としては辺鄙な場所とされていた浅草山之宿町(丹波 園部藩下屋敷跡地 11500坪)に三座とも移転。
江戸歌舞伎の重要人物、猿若勘三郎にちなんで猿若町と名付け、歓楽街パートUとしてスタートを切ったのですた。
皮肉なことに、この猿若町は新たな盛り場となり幕末まで繁栄し、興廃することはありませんでした。

だいたい、この辺。浅草寺のちと裏手あたりで、
待乳山(まちつやま)のふもとぐらい。
ここに、幕末まで続く、大歓楽街パートUが
出来上がっちゃいますた〜



今じゃ、歌舞伎は女子禁制の男の世界ですが、おおもとのもとは、小粋なご婦人が始めますた。
出雲の阿国(いずものおくに)という女性です。1603年(慶長8年)に京都でかぶき踊りを演じ人気を博しました。
かぶき者と言われるように「かぶく」とは、ちょっと「つっぱらかってる」という意味です。そう、不良っぽいというか、拗ね者というか。
私もたまに、かぶき者になるときがありまする(笑)
ちなみに慶長8年という年は、徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開き、豊臣秀頼(秀吉の一人息子)が内大臣となり
千姫が秀頼に嫁した年でもありまする〜……つまり江戸時代の始まりぐらいに、歌舞伎の祖が出現したってことですな。
上の二枚の絵は、その阿国が踊っている二幕の様子を描いたものです。
左は、「念仏踊り」。真四角の舞台の上で立っている髪の長い女性が阿国です。黒いかさを持ち、赤い腰蓑をふりふり、歌を唄いながら笛や鼓に合わせて
踊っています。右下の黒い男性は亡霊役。観客達は阿国の歌と踊りにつられて踊っている様子がよく分かります。
右の絵は「茶屋遊び」。舞台の上で椅子のようなものに座っているのが阿国です。当時京都で流行していた茶屋遊びの所作を取り入れ、面白おかしく
演じました。今でいうコントのような要素も多分に含まれています。腰には大きな刀を差し男装して踊りました。阿国の手前に茶屋の女役がいますが
その人は男性(笑)。歌舞伎初の「女形」かもしれません。 これ以降阿国を真似て、男装で踊る女芸人がたくさん出現しますた。
一番右の文言は、詞書(ことばがき)というもので、かぶき踊りの内容が書かれています。この二枚(二幕)のシナリオですな。
簡単に訳すと、阿国が念仏踊りをしていると、名古屋山三(なごやさんざ)という男性のかぶき者の霊が出てきて一緒に踊り、大騒ぎします。
で、山三と一緒に茶屋遊び〜。楽しんだ亡霊の山三は去っていき、最後に阿国は出雲大社の神様の姿となってチョンチョンです。
結構、面白そうですな〜。ちゃんと起承転結があり、ラストシーンは雄大な様が分かりますね。
なんつったって、実は出雲大社の神様なんだよ〜ん!というのがどんでん返しっぽくてええですね。(笑)

盛り上がる芝居町 画・広重

んじゃ、現在の地図を照らし合わせて……と、
え〜、どの辺に移ったかというとー、
←ここいらあたりですな(笑)
え?分かるわけないじゃん!って……